「かまくら ひとりたび」

けふは朝も早うから鎌倉に参りまして ひとりきままに歩いたり登ったり。いやはやまったく良いものです。緑に包み込まれた古寺というものは。

なんとなれば、緑とは命の集合体。精緻にして鮮やか、多様にして豊穣。動物たちの住であり衣であり食であり、土を繋ぎ 水を留め 風を生み 火を灯す。ああ緑!

しこうして、古寺というのは巨大にして重厚、深長。幾百重にも積まれた文化や歴史の目録に ある時代の渾身がぎゅぎゅっと結晶している。ミクロからマクロまで興趣が尽きない。

さて一日をざっくりおさらい。北鎌倉駅で降りて、建長寺へ。朝8時だったので鎌倉学園の生徒がわんさか。そして建長寺の開門は8時半だったという。

ちょっと待ったら開けてくれたので すいすいっと境内に侵入する。勝手知ったる建長寺。本堂では朝のお勤めをしていて般若心経を聞けた。なんであれ合唱ってのはいいものだなあ。こっそり一緒に唱える。

本堂裏の長椅子に座ってぽんやり庭園を眺めたり。本を読んだり ちまちまメモったり 行き交う人を観察したり。日差しは暖か 風は涼やか。春だなあ すごくいいなあ。……などと呟きつつ忘れてはならないことまですっかり忘れる。俗塵を落としたのですきっと。

この屋根の木組みがいいとか 瓦まで建長寺専用で意匠がすげぇとか。痩せさらばえたシッダルダの像は見る人になにを与えるだろうとか。天井いっぱいに描かれた龍の水墨画がたまらんぜよとか。呟いてたら9時を回っていたのでそろそろ次へ。

寺奥へと進み天園ハイキングコースに入ります。そこは緑の透明な空間。滴が垂れるたびに小さな虹がかかる。たっぷり吸い込んだ雨を 山はゆっくりと絞り出して まだ根の浅い若木たちも たらふく飲めるようにしてくれる。

長い階段を上り詰めれば建長寺 半僧坊。今日は直射日光だと暑いくらい。富士山も見えた。山はいいなあ、遠くが見えて。同じ理由で平原もいい。見えてる世界は 手を伸ばせば届きそうだから、かな。

イモリに逃げられたり 毛虫をつっついたり。脇道を進んだり 読みながら歩いたり 体を澄ませたり。ちくちく蚊に刺されたりしながら登っていく。山は生き物の気配が濃く にぎやかだ。

すれ違う人とあいさつするのが楽しい。どういう人で、いまどんな状態なのか。声を出した途端に自然と伝わってしまう。息の吐き方、力の入れ方、眼の表情。隠せない。

山頂のおでん屋さんだとかゴルフ場をすがめつつ すたすた下り道に入る。そこらで一回こけた。ぬめった坂を滑り落ち、両手を後ろ手ついて踏み留まる。こけたときの瞬間的な負荷、体に走る衝撃はなかなか面白い。

通るまではまったく思い出せないのだけど 景色を目にすれば心当たりがたくさんあって 芋づる式に思い出が蘇ってくる。記憶は不思議の小箱。家族で来たこと、友人と来たこと。そのときの雰囲気まで。

3.5kmをずいぶんゆっくり歩いて3時間。正午。瑞泉寺について楽しい山道ハイキングはおしまい。せっかくなので寄っていく。ここは通称、花の寺。仏像なんかより庭の方が有名で いつ行っても綺麗。

庭の長いすに黒ぶちの猫がいた。まだ若い感じ。なごなご鳴いてたので傍に座って一息つく。ケモノを撫でているとどうして落ち着くのだろう。緑滴る庭で猫といっしょに読書タイム。なんたる至福!

早起きしたのもあってお腹が空いた。近くでうどんを食べる。うん、うまい! ……というほどではないけど美しい盛りつけ。ガラスの貝の器に白いうどん、茶色の揚げ玉、ピンクのカニかま。冷やしたぬきうどんも やるもんだなあ、という感じ。

ついでにすぐ隣で、くるみあんパンを買って食べる。しっかりとした歯ごたえのいーいパン生地。これだよこれ、こういうのが食べたかったんだよと独りごちる。皆さんはコンビニとかの空気みたいなパンの方が好きですか?

だいたい満足したのであとは適当に鎌倉駅へ。緑もないし車も多いし、あんまり好きな道じゃない。いつもなら誰かとおしゃべりしながら行くところだけど きょうは一人なので うへへ、むほほと本を読みながら帰った。

以上……書くと長いですね。写真も載せたらよいのでしょうが
カメラを構えてると本を読めないんですよ。すこし読んで すこし旅する。このリズムが大好きなので。

  ひとりでも にぎやかに
  あじわっては かんがえて
  ひとつずつ じぶんのものにする
  いそがず あせらず ひとやすみ ひとやすみ

ちなみに きょう読んでた本は、岸田秀「ものぐさ精神分析」と森見登美彦夜は短し歩けよ乙女」でした。両方ともおすすめです(誰に?)。